大判例

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大阪高等裁判所 昭和59年(う)617号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一二年に処する。

原審における未決勾留日数中六三〇日を右刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官土肥孝治及び弁護人下村忠利それぞれ作成の各控訴趣意書記載のとおりであり、同弁護人の控訴趣意に対する検察官の答弁は、検察官沖本亥三男作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一弁護人の控訴趣意中原判示第一事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、1原判示老松コープ一階便所(以下「第一現場」という。)内で被告人並びにA1・A2の兄弟らが被害者甲を発見した際、A兄弟がA1のしていたベルトで甲の頸部を絞めつけた事実があるのに、これを認定せず、単に、「頸部を絞めつけるなどの暴行を加え」たとだけ認定している点、2被告人は、原判示南武庫之荘の空地(以下「第二現場」という。)付近で甲が自ら歩いて被告人車のトランクに入つた際、初めて同人にガムテープを使用したに過ぎず、第一現場から第二現場へ向かう走行中の車内においては、「甲の両眼及び口の上にガムテープを貼りつけ、また同人の両手首をタオルで緊縛した」事実がないのに、右事実を認定した点、3原判示塩瀬町の空地(以下「第三現場」又は「宝塚の山中」という。)において、被告人は鉄パイプにより甲を「小突いた」にすぎないのに、被告人が同人を「鉄パイプなどで殴打」したと認定している点などにおいて、いずれも事実を誤認したものである、というのである。

そこで、検討するのに、まず、右1については、原判決は、A兄弟及び被告人らの第一現場における暴行につき、甲の「顔面を手拳で殴打したり、頸部を絞めつけるなどの暴行」を加えた旨の事実を認定し、それ以上具体的な暴行の態様を認定していないが、必ずしも、ベルト(原判決にいう「バンド」と同じもの。なお、関係者の供述中にも、「ベルト」及び「バンド」の双方の言葉が用いられており、当審においては、原判決にいう「バンド」に相当するものを「布製ベルト」として押収している《当庁昭和五九年押第二五五号の一七》。以下の説示においては、時に「ベルト」といい、時に「バンド」というが、いずれにしても同じものである。)による絞頸の事実を否定している趣旨とは解されないから、所論は、その前提を欠く。次に、右2について検討するのに、被告人らが、被害者甲を第一現場から第二現場へ拉致する車内において、同人の両眼及び口の上にガムテープを貼りつけ、同人の両手首をタオルで緊縛する暴行を加えたことは、原判決挙示のA2に対する別件受命裁判官の尋問調書謄本(以下、「A2別件証人調書」と略記する。他の者についても、右の例による。)、原審第二回及び第四回各公判調書中証人Bの供述部分(以下、このような場合は「原審B供述第二回、第四回」と略記することとし、かつ、原則として、公判調書中の供述記載と公判廷における供述とを、特に区別しないで掲記する。)、Cの司法警察員(昭和五七年六月八日付)及び検察官(同月一〇日付)に対する各供述調書(以下、「C員面57.6.8付」「C検面57.6.10付」と略記する。他の者についても、右の例による。)などにより、これを肯認するに十分であり、右認定と抵触する被告人の原審及び当審供述は、にわかに措信し難く、所論援用の「Bの二回目の原審供述」(第四回公判期日におけるものと理解される。)は、右認定と抵触するものではない。所論は、被告人以外の者の右各供述の信用性を争う趣旨と解されるが、A2のみならず、当時被告人の配下組員であつたBとCの両名が、いずれも右A2供述にほぼ符合する趣旨の供述をしている点からみて、所論の採用し難いことは、明らかであると認められる。更に、前記3については、第三現場において被告人が、鉄パイプにより多数回にわたつて甲を殴打した旨のA2員面57.6.15付及びA1供述(原審及び当審)は、現場に居合わせたC・Bの両名が、必ずしもA兄弟の供述に副う明確な供述をしていないこと(C検面58.6.10付、B別件証人調書第一〇回、同人の原審供述第二回、第四回各参照)、A兄弟の供述は、刑責を被告人に押しつけようとするの余り、事態をいささか誇大に供述している疑いもないとはいえないことなどにかんがみ、その供述内容をそのまま全面的に措信することはできないけれども、被告人も、捜査段階においては、鉄パイプで甲の背中を一回殴打した事実自体はこれを認めていたばかりでなく(被告人検面58.5.27付)、当審公判廷においても、「捜査段階以来一貫して真実を訴え続けてきた」旨供述しているのであるから、少なくとも右被告人の供述に現われた限度においては、被告人の鉄パイプによる甲殴打の事実を肯認するのが相当である。そして、原判決は、第三現場における鉄パイプによる甲殴打の回数まではこれを認定しているわけではないのであるから、原判決には、右3の点についても、所論のような事実誤認は存しないというべきである。

以上のとおりであるから、結局、原判示第一の事実に関する事実誤認の論旨は、理由がない。

第二弁護人の控訴趣意中原判示第二の一の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、被告人は、被害者甲の殺害には全く加担しておらず、右殺人は、A1の単独犯行であるといい、被告人には、甲を殺害する動機は全くなく、被告人と共同して右殺人を実行した旨のA1の原審供述等は、客観的な証拠関係等に照らし、とうてい措信しえないものであるのに、原判決が、右A1供述に依拠して、被告人が同人と共同して甲被害を実行した旨認定したのは、事実を誤認したものである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討した上、次のとおり判断する。

一争点の所在と証拠関係の概要等

本件公訴事実は、当時暴力団山口組系(現一和会系)△△組内○×組の組長であつた被告人が、1自己の配下組員であるB及びC、並びに、当時被害者甲を代表取締役とする破産会社(O建設株式会社)からの債権回収を焦慮していた、同社の下請残土処理業者であるA2及びA1の兄弟と共謀の上、右甲を捕えて隠し財産を追及しようと企て、昭和五六年八月七日夕刻、被害者甲を原判示老松コープ一階大便所内で捕捉し、引続き自動車で、前記第一ないし第三現場のほか、原判示関西電子工業東側空地前路上(以下「第四現場」という。)及び同神崎郡所在の土砂採取場(以下「第五現場」という。)などへ拉致して翌八日午前二時ころまで同人の身体の自由を拘束し(公訴事実第一)たのであるが、2右逮捕監禁しての追及によつても、同人が会社資産につき真実を述べなかつたとして憤激し、かつ、右1の犯行の犯跡隠ぺいを図るため、A1と共謀の上、右第五現場付近の路上及び山林内で、柄を取り外したつるはしの金具で甲の頭部を殴打して失神させ、A1着用の布製バンドを甲の頸部に巻きつけて両名で引張るなどの方法で同人を殺害し(同第二の一)、更に、その死体の顔面をつるはしの金具でつぶして土中に埋めた(同第二の二)というものである。被告人は、捜査段階から、右第一の逮捕監禁及び第二の二の死体遺棄の事実については、基本的にその事実関係を認めたが、第二の一の殺人の事実については、自己が第五現場までA1と同行した事実、及び同人がつるはしの柄で甲を殴打したあとA1と共同して甲を山林内に連れ込んだ事実を認めるのみで、A1との殺人の共謀及び殺人の実行行為への加担を強く否定している。しかし、原判決は、右被告人の弁解を排斥し、主として、被告人との共同実行の事実を詳細に述べるA1供述に依拠して、被告人を右殺人の実行共同正犯者と認めたので、所論は、詳細な理由を挙げて、右A1供述の信用性を争い、原判決の右事実の認定を論難するのである。

ところで、本件においては、殺人・死体遺棄が実行された第五現場付近にいた者は、被害者甲を除けば被告人とA1の両名だけであつて、右両名の供述以外には、殺人の実行行為者を特定し得る直接証拠はない。しかして、殺人の実行行為を行つたものが、被告人とA1の両名であるのか(A1の供述)又はA1だけであるのか(被告人の供述)という点については、事柄の性質上、思いちがいや錯覚の介入する余地はないから、かかる事項につき両名の供述が根本的に対立するのは、両名のいずれか一方(又はその双方)が、意識的に虚偽の供述をしているからであると考えるほかないが、殺人への加担を否定する被告人についてはもとより、共同実行を主張するA1についても、虚偽の供述をする動機は十分考えられるのであるから(A1の供述は、被告人に命令されて加担したにすぎないとするものであり、本件において果たした役割につき被告人を主、自己を従と供述することによつて、自己の刑責の軽減を図ろうとしたと疑う余地は十分あり得る。)、両供述の信用性の検討は、慎重になさなければならない。

以上の問題点にかんがみ、当審においては、原審記録及び証拠物を精査するに止まらず、被告人及びA1の各供述の信用性判断の資料とするため、1A1の捜査官に対する供述調書二一通を弁護人の同意のもとに取り調べ、2同人を当審証人として詳細に尋問し、3被告人の主張するA1による甲の殴打状況につき検証を実施し、4右検証結果及び捜査段階におけるA1の犯行再現状況を明らかにした実況見分調書の写真を前提として、甲殴打の状況に関する両名の供述中いずれが、甲の頭部の骨折状況によりよく符合するかについて、再度にわたり、法医学専門家に鑑定を命じ、5被告人に対しても、詳細な供述を求めるなどして、真相の解明に努めた。以下、右審理の結果到達した当裁判所の見解を詳述する。

二証拠上確実な事実関係

まず、本件に関する以下の事実関係は、証拠上確実に肯認し得るところである。

1  犯行に至る経過

(1) A2、A1の兄弟は、共同して、残土処理業(××興業株式会社、×○興業株式会社)等を営み、被害者甲が代表取締役となつているO建設株式会社の下請けとして、同社から仕事を請負い、本件当時同社に対し、二千数百万円の債権を有していた。

(2) 甲は、O建設の業績が上がらず債務も相当高額に達したため、同社を破産させて再出発しようと考え、同年七月末ころ、甥の乙らとも相談の上、大阪地方裁判所に対し自己破産の申立をした結果、同月二九日破産宣告がなされ、破産管財人として、西元信夫弁護士が選任された。

(3) A兄弟は、O建設の倒産を知るや、自社の債権回収のため素早く手を打ち、同年七月末ころ、同社の従業員(営業係)丙の手引きで、総合建設△△工務店に対するO建設の債権取立の交渉をし、同工務店の残工事をA兄弟が責任を持つという約束で、同工務店から、まず九八〇万円を回収したが、その後、所在不明になつているO建設所有の杭打機(時価約三〇〇〇万円相当)の所在を甲から聞き出し、同年八月四日ころ、これを事実上自己らの支配下に置くとともに、甲をして、O建設が右杭打機を同社の従業員(前記丙)に対し同年六月中旬ころすでに譲渡していたように仮装する内容虚偽の譲渡書をも書かせた。もつとも、右杭打機の所在は、同年八月六日ころ、西元管財人の知るところとなつて、A兄弟の右杭打機処分による債権回収の計画は、頓挫した。

(4) A兄弟は、前記杭打機を自己らの支配下に置いた際、甲の自動車内に重要書類が隠されているのではないかと疑い、同車のトランク内を探そうとしたが、その瞬間、同人が、「殺される。助けてくれ。」と大声で叫んで逃げ出したためパトカーの出動する騒ぎとなり、同人は、いつたん吹田警察署に保護された。しかし、警察が、民事事件不介入の原則を理由に、右紛争への深入りを避けたため、A兄弟は、そのまま帰宅を許されることとなり、帰路、甲車のドアーをこじ開けて、内部を探索したりした。

(5) 他方、被告人は、暴力団山口組系(現一和会系)△△組内の組員数名を擁する○×組の組長であつて、悪どい債権の取立をしていたものである。被告人は、同年七月末ころ、大山誠から高木重機こと李徳洋のO建設に対する債権約二二〇万円の取立を依頼されて、右取立に乗り出すことになつたが、甲と何らの面識もなかつたため、大口債権者であるA兄弟を通じて所在不明の甲と接触しようと考え、ひとまず、前記大山の姉への債務の存在をA1に認めさせ、その誓約文を書かせたりするうち、同年八月四、五日ころ、A兄弟から、一緒に甲からの債権の取立をしようと持ちかけられ、以後同人らと共同歩調をとることになつた。

(6) A兄弟は、被告人に対し、前記杭打機確保の事実を告げないまま、更に甲を追及して隠し資産の所在を白状させようと考え、まずA1において、同じくO建設の債権者である△川ことDとともに、同月七日西元管財人事務所(大阪市北区〈住所省略〉老松コープ六階)に赴き、同日甲が同事務所に現われるらしいと察知し、右老松コープ一階の喫茶店「ホアイデン」で待ち受けていたところ、同人が現われ右事務所へ向かうのを確認したので、兄のA2に連絡し、A2は、同日午後二時ころ、右「ホアイデン」にかけつけた。他方、A1は、かねての約束通り、被告人の事務所に電話して、被告人とも連絡を取り、同日午後二時半ころ、被告人並びにその配下組員であるC及びBの三名も、相前後して右「ホアイデン」に集結し、待機した。

(7) その後、同日午後四時ころに至り、甲の前記事務所からの帰りが遅いのに焦慮したA1の発案で、BがO建設の債権者になりすまして西元事務所へ赴き、様子を探つたことから、事態の異変を察知した甲は、急きよ同事務所を辞去し、身の危険を感じて同コープ一階の大便所内に身を隠した。他方、Bの知らせで甲の辞去を知つたA兄弟及び被告人らは、甲の帰りを待ち受けたが、一向に同人が現われないのに驚き、手分けして同コープ内に探索したところ、間もなく、A1において、大便所内に内側から鍵をかけてひそんでいた甲を突き止め、一同に知らせたため、被告人ら七名のほぼ全員が、右大便所前又はその付近に集結した。なお、その際、被告人は、Cに命じて、自己所有の乗用車(白色クラウン)を、同コープ裏口駐車場に回すよう命じた。

2  原判示第一事実の犯行の態様

(1) 原判示第一の逮捕監禁の犯行の態様は、基本的には原判決認定のとおりであるが(前記第一参照)、右犯行は、本件における最大の争点である被告人の殺人の実行行為への加担の有無の判断に関連するところが多いので、右判断に必要な限度で、以下、若干これを補足して検討しておくこととする。

(2) 被告人は、前記大便所前から甲に対し、「喫茶店で話しよう。ドアを開けな。」などと声をかけたが、A兄弟らの存在に畏怖した同人が、「助けて。殺される。」などと大声でわめき、容易にドアを開けないので、洗面台に足をかけて大便所の上部へ上半身を乗り出し、内側の鍵を外してドアを開いた上、A兄弟らに引き続いて大便所内に押し入り、同じく大便所内に押し入つたA兄弟らとともに、こもごも甲の顔面を殴打した。なお、その際、A兄弟は、A1が使用していたズボンのベルトで甲の頸部を絞めるなどして、同人を失神ないしその寸前の状態に陥らせ、被告人は、これをその場で目撃している。

(3) 被告人らは、ぐつたりした甲の手足を持ち、協力して、予め同コープ裏口駐車場に回してあつた被告人車後部座席に同人を押し込み、被告人とBで左右からはさむように坐り、A2は助手席に乗車し、甲をいずれかへ拉致しようと、取りあえず、Cの運転で出発した。なお、A1及びDの両名は、右犯行現場(第一現場)に残り、大便所内及びその付近を点検し、甲が落したと思われる手形数枚及び靴片方などを拾得した上、各自自動車を運転してA1方(兵庫県尼崎市〈住所省略〉)に帰つた。

(4) 被告人は、前記老松コープを出発後間もなく、動作の遅いCの運転ぶりにいら立ち、同人に代つて自らハンドルを握つて運転し、その後同車内後部座席の甲の両脇に座つているC・Bの両名に命じて、甲の両眼及び口の上にガムテープを貼りつけ、両手首をタオルで緊縛させるなどした。そして、被告人は、A2の案内で、同日午後五時半ころ、A兄弟の自宅の近くである尼崎市南武庫之荘一〇丁目一六三番地の一所在の空地(第二現場)に自車を乗り入れた。

(5) 右第二現場において、被告人が甲に対し、パンとジュースを与えたりするうち、A2からの電話連絡により、A1及びDも各自自動車で右現場にかけつけるに至り、その後は、同人らも交えて、甲に対し、こもごも隠し資産の所在を追及したけれども、同人が一向にこれを明かさないので、いわゆる難波のマンション(大阪市浪速区難波所在の同人所有のマンション)を捜索することに決し、A1とCにおいて、甲から取り上げた右マンションの鍵を持ち、A1の車(ニッサングロリア)で右マンションへ出発した。

(6) A1は、Cを伴つて、右マンションに赴くや、甲の居室内を探索して、右マンションの権利証を発見したが、間もなく、ポケットベルの合図を機に、電話でA2と連絡を取り、その指示により、右権利証等を持つたまま、いつたん帰宅して待機した。

(7) 他方、前記第二現場に残つた被告人及びA2らは、第一現場の犯行を第三者に目撃されたことを意識し、犯行の発覚を防ぐため、甲をDの車に乗せ替えようとしたが、同車も被告人車と同車種であり、乗せ替えても無駄であることが分つたので結局、これを取りやめることにして、Dを帰宅させた上、甲を更に遠方に拉致して脅迫するため、被告人車の後部トランクに同人を移して、口にガムテープを貼るなどし、被告人の運転により、同日午後七時ころ、A2の指示する、付近に人家のない原判示塩瀬町の空地(第三現場)に甲を連行した。

(8) 右第三現場において、被告人らは、甲を車外に連れ出し、地面に坐らせた上、車内にあつた鉄パイプで同人の背中を一回殴打したり、多数回にわたり体を小突いたりして、隠し資産の所在を追及したところ、当初相変らず口を割らなかつた同人も、激しい拷問に耐えかね、ついに、O建設の従業員丁に八〇〇万円預けてある事実を認め、「この金を持つて来させて、高木重機に対する返済と迷惑料の支払いをするから勘忍してくれ。」「A2には、杭打機を渡す。」などと言い出したが、被告人らは、なおも追及の手をゆるめなかつた。

(9) 約一時間後、A2は、すでに帰宅していたA1に対し、電話で、右第三現場ヘスコップを持つて来るように指示し、これを受けたA1は、スコップ二本(剣スコ、角スコ各一本)を付近に停車中のトラック等から盗み出し、更に、義兄のE方から、つるはし一本を持ち出して自車に積み込み、Cを同道して第三現場へかけつけた。なお、A1の到着を右現場からやや離れた路上で待ち受けていたA2は、A1と交代して、同人の車で帰宅した。

(10) A1の到着後、被告人らは、A1をも交えて更に甲を追及し、C及びBの両名は、被告人又はA1の指示で、付近にスコップで穴を掘るか、少なくとも穴を掘る真似をしてみせ、甲に殺害の危機が迫つている事実を覚らせようとしたほか、被告人及びA1の両名においても、更に鉄パイプで甲の身体を殴つたり小突いたり、手で殴打したりしたが、結局同人からは、これ以上の情報を引き出すことができなかつた。

(11) 同日午後一〇時ころ、被告人らは、甲の身体を再びガムテープで緊縛するなどして、同人を被告人車の後部トランクに移した上、Bの運転で、A兄弟の自宅にほど近い原判示関西電子工業東側空地前路上(第四現場)に至り、同所において、被告人は、翌日に予定されている△△組内××組組員の放免祝いに代理出席させるため等の理由で、BとCの両名を被告人車で帰すこととし、他方、A1は、兄のA2から自車のキーと金五万円を受け取るため、いつたん帰宅した。

(12) A1が帰宅した際、A2は外出中で留守であつたが、間もなく帰宅したので、A1は、兄から右キー等を受取つて車で第四現場へ引き返し、同所において、四名協力して、甲を被告人車のトランクからA1車のトランクへ移し替え、BとCは、間もなく被告人車で右現場を立ち去つた。なお、それまで被告人車の後部座席に積んであつたスコップ二本とつるはしは、その間に、何者かによつてA1車に移されている。

(13) 被告人は、同日午後一一時半ころ、甲を後部トランクに乗せA1が運転する同人の車の助手席に同乗して、第四現場を出発した。A1は、当初、県道尼宝線を北進し、国道一七一号線との交差点(昆陽ノ里交差点)を右折して右一七一号線に入り、吹田インターチェンジから名神高速道路へ、更に、豊中インターチェンジで阪神高速道路空港線へ、また、池田インターチェンジから中国縦貫自動車道(以下「中国道」という。)に入り、同道路を一路西進して、福崎インターチェンジで播但有料道路(以下「播但道」という。)を更に北進、国道三一二号線を経て、町道今西峠線との三差路交差点を左折南進ののち、翌八日午前二時ころ、右交差点から四、五百メートル離れた、原判示兵庫県神崎郡の土砂採取場(第五現場)において方向転換の上、車首を北に向けて停止した。

(14) 右第五現場は、第四現場から直線距離にして約七〇キロメートル、自動車の走行距離にして約一三〇キロメートル離れた地点である。同現場に至る途中、A1は、第四現場から約一二キロメートル走行した吹田インターチェンジ手前の給油所(出光興産中環池田給油所)でガソリン補給のため(満タンにした。)、また、同じく約六七キロメートル走行した中国道赤松パーキングエリヤで、兄のA2と電話連絡をするため、それぞれ一時停車している。なお、A1は、右赤松パーキングエリヤにおける約一〇分間の停車ののち、被告人と運転を交代した旨供述しているが、後記の理由(六参照)により、措信し難い。

3  原判示第二事実の概要及び犯行後の行動等

(1) 第二事実(特に、第二の一の事実)については、被告人とA1の各供述が顕著にくいちがうので、詳細の検討はのちに譲り、以下においては、争いのない概要のみを摘記する。

(2) 第五現場に到着する直前(A1の言い分)、又は、右直前と到着直後の二回(被告人の言い分)、自車を停車させたA1は、自車内にあつたつるはしの金具部分(柄を外したもの)を持つて後部トランク近くへ行き、蓋を開けて甲の頭部をこれで殴打した。

(3) その後、被告人とA1は、協力して、甲をトランクから引き出し、同所から約二〇メートル離れた山林内へ同人を連れ込んだ。右連れ込んだ場所は、前記第五現場から段差約二メートルの急傾斜の斜面を下り、低部の湿地帯を越えた地点である。

(4) 右山林内において、その後間もなく、A1及び被告人の両名(A1の言い分)又はA1一人(被告人の言い分)が、A1の着用していたズボンの布製ベルトを甲の頸部に巻いて強く絞め、そのころ同人を殺害した。

(5) 両名は、被告人がA1車から持ち出したスコップ及びつるはしを使用し、協力して、右山林内に穴を掘り(深さ約0.7メートル)、また、同人の死体を全裸にした上、被告人において、同人の上着を顔面にかぶせ、柄のついたつるはしの金具の横面で約一〇回顔面を強打し、顔面の骨の大部分を粉砕したのち、死体を折り曲げて右穴に埋め、上から土砂や木の葉をかぶせ、血のついた付近の草を抜き取るなど入念に犯跡を隠ぺいした。

(6) 両名は、右作業終了後、スコップ、つるはし及び甲の着衣等をA1車に積み込み、A1の運転で元来た道を引き返し、途中、播但道沿いの商店の水道で手を洗つたり、甲の死体から奪つてきた腕時計を車外へ投げ捨てたりしたのち、兵庫県西宮市〈住所省略〉所在末広マンション一階一〇三号の当時の被告人の住居に立ち寄つて、現場から持ち帰つた甲の着衣をはさみで入念に切りきざんだ上、ゴミ捨場にこれを投棄し、更に、同市高須町の武庫川河口右岸堤防から、スコップ二本及びつるはしを水中に投棄し、また、途中の薬局で購入したオキシドールや水道水で、A1車の血痕を洗い流した。

三犯行の発覚及び原審における公判審理の各経過

1  原審における被告人らに対する公判審理は、やや特異な経過をたどつているので、関係者の供述の信用性の判断上必要な限度で、以下、記録上明らかな本件犯行発覚の経緯及び原審における公判審理の経過を概観することとする。

2  被告人らによる甲の拉致事件につき、逮捕・監禁、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件として捜査を開始した大阪府浪速警察署は、昭和五六年一一月初旬に至り、Dから、A兄弟及び暴力団員とともに甲を老松コープから車で連行した旨の供述を得て、A兄弟の身柄確保に踏み切り(同月四日逮捕)、両名を取り調べたところ、両名は、間もなく、甲を被告人らとともに逮捕監禁し共同して同人に暴行を加えた事実を認め、更に、A1は、同月中旬に至り、甲を被告人と二人で第五現場へ連行して殺害・埋没した事実をも認めた。(ただし、右の段階において、A兄弟は、被告人及び自己らが第三現場へ赴いた事実を一切秘匿しており、A1は、第二現場から被告人とともに直接第五現場へ直行したように供述している。)右供述に基づき、警察が同月一七日第五現場付近の山林内を発掘したところ、甲の全裸の死体が屍ろう化した状態で発見された。

3  その後、捜査当局は、更に捜査を遂げた上、同月二四日、まずA2を逮捕監禁罪で大阪地方裁判所に起訴し、同年一二月九日には、A1を逮捕監禁、殺人、死体遺棄罪で同地方裁判所に起訴したが、右各起訴状からは、第三、第四現場への甲の拉致の事実が欠落していた。そして、同地方裁判所第七刑事部で併合審理が受けたA兄弟が、当初から、右起訴状記載の公訴事実を全面的に認めたため、右両名に対する審理は順調に進捗していたが、翌五七年五月一三日に逮捕された被告人が、右第三、第四現場の存在を主張し、A兄弟も結局これを認めてその存在が確認されるに及び、検察官は、同年六月二五日付書面により、両名に対する逮捕監禁の起訴状記載の公訴事実に、甲を第三、第四現場へも連行して監禁したとの事実を加える旨の訴因変更請求をし、右訴因変更は、そのころ許可された。その後、A2は、持病の白血病の悪化により、保釈釈放(昭和五六年一一月二五日)後の療養の甲斐もなく、同五八年五月七日死亡し、原審は、同月二四日同人に対する公訴を棄却する決定をした。他方、A1は、同五九年三月三〇日、原審において、懲役一五年の判決を言い渡され、右判決は、そのころ確定した。

4  これに対し、被告人は、本件犯行後間もなく、A1から、杭打機を処分した代金の一部として二回にわたり金二〇〇万円を受け取つたが、その後、同年一一月四日付の新聞でA兄弟逮捕の事実を知るや、大山誠夫婦と別れの盃を交わしたのち、単身車で名古屋方面へ行こうとして途中交通事故を惹起してしまつた。その後、被告人は、テレビニュース等で自己がA1と同じ罪名で指名手配されていることを知つたが、転々と居所を移し、逮捕を免れていた。

5  しかし、被告人は、新聞の報道等で、A2が保釈を許されて出所したことを知り、同人らが事件の全責任を自己に押しつけているのではないかと不安になつて、自己の立場を警察に理解させるため、同年一二月末頃、自己の主張を詳細に記載した手紙を大阪府警察本部捜査一課長あてに投函したが、その後も各地を逃げ回つた末、同五七年五月一三日夜逮捕された。

6  取調べに対し、被告人は、第二現場のあと、宝塚の山中(第三現場)及び第四現場へも甲を拉致して脅迫したとして、事実関係の詳細を明らかにしたが、第五現場における殺人はA1の単独犯行である旨、その後の弁解と基本的に同様の供述をし、C、Bの両名も、第三現場の存在を認めた。そのため、捜査当局は、A兄弟に対し、右各供述を前提として、改めて取調べを行い、両名も、前記のとおり、最終的にはこれを認めるに至つた。

7  被告人は、昭和五七年六月三日、本件逮捕監禁(第三、第四現場の分を含む。)、殺人、死体遺棄の各事実で起訴され、原審(A兄弟の事件が係属中の大阪地方裁判所第七刑事部)において、逮捕監禁及び死体遺棄については基本的に事実を認めたが、殺人については、捜査段階と同様、A1の単独犯行であるとしてこれを争つた。

8  原審においては、二五回の公判を重ね、A1、Bら関係者の尋問のほか、詳細な被告人質問等を行つたが、途中死亡した逮捕監禁の共犯者A2に対しては直接尋問の機会がなく、また、C、Dらについても、別件証人調書が提出されるに止まり、証人尋問はなされなかつた。

四捜査段階以来の各主要関係者の供述の要旨

1  緒説

本件における最大の問題点は、第五現場における被告人及びA1の行動に関する両名の矛盾する供述の信用性をいかに判断するかの点であるが、その前提として、以下、右両名及び重要な関係者であるA2の各供述の要旨を概観しておくこととする。

2  A1の供述

(1) A1は、逮捕直後の取調べにおいては、逮捕監禁の事実を含め、犯行を全面的に否認したが(員面56.11.4付)、間もなく、逮捕監禁及び暴力行為等処罰法違反の事実を認めた。しかし、同人は、その後も、八月七日夜第二現場から難波のマンションへ行つて家探しをしたあと、再び第二現場へ戻つたが、これ以上甲を痛めつけたら警察に訴えられると心配になり、自車で同人を右マンションへ送つて帰つたもので、その後のことは知らない旨、殺人、死体遺棄の事実を否認する供述をしていた(員面56.11.11付)。

(2) ところが、A1は、その約一週間後には、「本当のことをいわなかつたのは、いえば長期間刑務所へ行かなければならないし、家族にも迷感がかかる、また、被告人のことをいえば家族にどんなことをされるかわからないので隠していたが、本当に悪いことをしたと反省し、本当のことを話す決心をした。」という前置きで、殺人・死体遺棄の事実を認める供述をした(員面56.11.11付)。右供述は、「難波のマンションを家探ししたあと、午後八時ころ、第二現場へ戻り、発見したマンションの権利証を被告人に渡した。その後、兄を家に帰し、午後一〇時ころ、C、Bの両名も、放免祝いのために帰つていつた。被告人と今後の処置を相談しているうちに、被告人が、『警察へ行けんように甲をやつてしまおう。』というので、その気になり、帰宅して兄のA2から車のキーと五万円を受け取つて現場へ戻り、甲を自車のトランクに移した上、付近の資材置場等からつるはし一本とスコップ二本を盗んで積み込み、自ら運転して出発したが、途中、中国道の赤松パーキングエリアで兄のA2に電話した際、被告人と運転を交代した。翌八日午前二時ころ第五現場付近の道路において、車を止めた被告人が、トランクを開け、『つるはしで首を殴れ。』というので、殺意をもつて、つるはしの金具で思い切り同人の首を殴打したが、手もとが狂つて後頭部を殴打してしまつた。その後、近くの空地に車を止め、甲をトランクから引き出して、林の中に二人で引きずり込んだ上、自分のバンドを首にかけて二人で綱引きするような形で首を絞めた。そのあと、二人で穴を掘り、甲を全裸にし、被告人がつるはしで同人の顔をつぶし、二人で死体を埋めた。」というもので、依然として第三現場の事実を欠落させ、第四現場の事実を第二現場のそれとして供述しているほか、その後の供述と必ずしも重要でないとはいえない相違点がいくつかある。しかし、A1の以後の供述の原形は、右員面において完成したといえる。

(3) A1は、一一月二五日以降の司法警察員の取調べに際しても、連日右(2)記載の事実関係を敷えんする供述をし、一二月五日までの間に一二通に及ぶ詳細な供述調書が作成された。

(4) 被告人が逮捕されたのちの昭和五七年五月一八日の取調べに際し、A1は、「第二現場で、被告人が甲の顔や両手をガムテープでぐるぐる巻きにして鉄棒で殴つていることを隠していた。この現場には、Dを除いた五人が居り、これを警察に言えば兄の罪が重くなると思つて隠していた。」などとして、従前の供述の一部を変更したが、依然として、甲を第三現場へ連行した事実については頑強にこれを否認し、同月二四日の検察官の取調べに対しては、第二現場から午後一〇時ころ第四現場へ移動した事実を初めて認めたが、第三現場の存在は、なおこれを秘匿した。

(5) しかし、A1は、検面57.6.17付においては、「Cと二人で難波のマンションを家探し中、ポケットベルが鳴つたので、被告人方に電話すると、被告人の妻がすぐ自宅に帰るようにというので帰宅した。午後八時頃、兄から、『スコップを持つて三井のアスファルトプラント工場があつた方へ来い。』といわれ、甲が死んでこれを埋めるためかと思つて、姉むこ(E)方でつるはしを持ち出し、近くのダンプカーからスコップ二本を盗んで、自車で宝塚の山中(第三現場)へ行つた。右現場では、被告人が鉄棒で甲を殴つているので、兄を巻き込んではいけないと思い、兄を先に帰した。被告人は、鉄棒で甲を殴つたり、Bに指示して首を絞めさせたりしたが、更に、『殴つてもいわんから、穴掘る真似をせい。』と命じ、私とCで、穴を掘る真似をして音をさせた。甲が、結局、丁に預けてある八〇〇万円以外は白状しないので、その後、Bの運転で第四現場へ向かつた。」旨、第三現場における犯行の詳細を供述し、右現場には兄のA2も行つており、同人の指示によりスコップ、つるはしを同所に持参した事実を認めた。

(6) A1の原審及び当審における供述は、細部において種々の変転を重ねるが、その基本的な筋は、右5で修正された捜査段階の供述のそれと、大きく変動していない。

3  被告人の供述

(1) 被告人は、前記三5記載の捜査一課長あての手紙以来、第一事実の全部及び第二事実中死体遣棄の点を認め、殺人の点については、A1の単独犯行である旨詳細な供述をしており、細部においてはともかく、その供述の基本線については、A1におけるような大きな変転はない。

(2) 被告人は、前掲手紙において、①第一現場では、便所の上から身を乗り出して鍵を明け、暴れる甲を、A1らがベルトで首を絞めてぐつたりさせ、皆で自分の車に運んで拉致したことをはじめとして、②第二現場、第三現場及び第四現場の各犯行の概略、第三現場で自己が木刀で甲にヤキを入れたこと、A1外一名が同所で現実に穴を掘つたこと、及び右の段階でA1が甲殺害の件を言い出したことなどを述べ、③更に、第四現場でCとBを帰したあと、「A1が甲を殺そうといつてきかないので、賛成はしないがついていつてやるといい、A1の運転で出発したが、第五現場近くの道路上で車を止めると、同人が急に甲の後頭部を二、三回つるはしの金具で殴つた。第五現場の空地で方向転換後、A1に、手伝つてくれといわれて、二人で抱えるようにして甲を林の中二〇メートルほど奥へ運んだ。同所で、A1から、つるはしとスコップを取つてきてくれといわれて車へ取りに戻り、帰つてくると、甲の首にベルトが巻かれているので、『殺したのか。』というと、A1は、『殺してしまつた。』と答えた。そのあと、二人で穴を掘り、A1と交代でつるはしで甲の顔をつぶし、全裸にして埋めた。」などと述べており、その内容はその後の捜査官に対する供述、並びに、原審及び当審の各公判廷における供述に至るまで基本的には変つていない。

(3) そして、その後の取調べ及び公判廷における被告人の供述において、右(2)の手紙の記載内容を修正・補足する主要点は、①第三現場で甲を殴つたのは、木刀ではなく、鉄製パイプ(長さ五〇センチメートル、直径二、三センチメートル)によつてであること(検面57.5.27付)、②第四現場以降もA1について行つたのは、同人が、甲を殺すというので心配だつたから(検面57.5.28付)、又は、A1に甲を殺させないため(公判供述)であること、③第五現場及びその付近でのA1による殴打は、第五現場の手前二、三百メートルの地点と第五現場における二回であり、一回目の時は、更に殴打しようとするのを制止し、二回目の時は、殴打直後に制止していること(検面57.5.28付)、④第五現場から山林内へ連行する際、甲は、右各殴打にもかかわらず、失神しておらず、A1がさらに脅すというので協力するつもりで手を貸したが、A1から、脅すためにスコップとつるはしを持つて来るようにいわれて、車までこれを取りに戻り、小便をしたり煙草を喫つたりして一〇分位して戻つたら、甲が首にバンドを巻かれて絶命していたこと、などである。

4  A2の供述

(1) A2は、A1が逮捕監禁の事実を認めた日の翌日である昭和五六年一一月一二日には、A1と同様、第三、第四現場を欠落させた形で甲拉致の事実を認め、A1とCの両名が第二現場から甲の難波のマンションの家探しへ出発したあと、自室に戻つた旨供述しており、その後、員面56.11.20付では、「第二現場から午後七時半ころ帰宅し、九時ころ妻と近くの喫茶店で夕食をすませて帰ると、A1が来ており、甲のため薬を買うので五万円くれというので、自室から五万円を持ち出して渡した。夜中の二時か三時ころ、A1から、甲をマンションまで送つていつた旨の電話があつた。」旨供述していた。

(2) 同人は、その後の員面57.5.22付では、「甲を拉致する途中の車内等において、CやBが、被告人の指示で甲の目にガムテープを貼りつけており、第二現場では、被告人が怒つて鉄棒で甲の頭を二、三十回殴つた。これまでは、これをいうと、白血病なのに保釈もきかなくなると思い、隠していた。」旨供述したに止まり、依然として、第三、第四現場の存在を秘匿している。同人が、右第三現場へ自分も同行している事実をはじめて認めたのは、その約三週間後の員面57.6.15付においてである。

五鑑定及びその余の客観的証拠の概要

1  緒説

甲殺害及びそれに至る経過について、鋭く対立する前示A1及び被告人の各供述の信用性を判断するにあたつては、右各供述のなされるに至つた経緯及びその内容の各検討及びその余の関係者の供述との対比等のほか、鑑定及びその余の客観的証拠との整合性の有無の検討等広い視野から総合的に考察することが必要である。本件においては、甲の死体が、死後三か月余ののち、A1の供述に基づく発掘の結果屍ろう化した状態で発見されたため、死体の損傷については、主として、頭蓋骨等の骨折の状況しか判明し得ず、しかも、後記的場梁次による鑑定後は、頭蓋骨自体も保存されていないので、当審段階の鑑定においては、右的場作成の鑑定書(58.3.2付)及び別件第一九回公判調書中証人的場梁次の供述部分の謄本(以下、両者を一括して「的場鑑定」といい、その余の鑑定についても、同様の呼称による。)等間接的な資料に基づく鑑定しか行うことができなかつた。

2  的場鑑定の内容

(1) 右的場鑑定は、甲の死体の発掘後、これを解剖した大阪大学医学部法医学教室助手的場梁次によるもので、右死体についての鑑定であり、その内容の大要は次のとおりである。

(2) 的場鑑定によると、甲の身体に存する損傷のうち確認し得たものは、

① 頭蓋骨線状骨折(別紙一「鑑定事項」添付の図面B図、C図)

② 左顔面の陥没骨折(上顎、下顎骨折を含む。)(同図面A図)

③ 左第八、九肋骨骨折

の三箇所のみであり、いずれも発起の原因は鈍体の打撲によると考えられるが、②は強大な外力によると考えられ、①もまた「かなり強い鈍体が前頭部乃至頭頂部に加わつたものと考えられ」、更に、②の骨折が生じた際に①が同時におこつたということも考えられる、とされている。

3  廣田鑑定の内容

(1) 廣田鑑定は、当審において弁護人の請求に基づき、奈良県立医科大学教授廣田忠臣に命じて行わせたもので、その鑑定の結果は、大要次のようなものである。

(2) 右鑑定は、甲殴打の状況に関するA1と被告人の相対立する供述を前提とし、いずれの供述する状況の方が、的場鑑定により明らかにされている前記2(1)(2)の頭部・顔面の骨折状況とよりよく符合するかを解明する目的のもとに、①A1による二回の甲殴打の状況を被告人に実演させて撮影した写真(当審検証調書60.2.16付添付の写真2ないし6及び8ないし10)、並びに②捜査段階においてA1が演じて見せた甲殴打の状況の写真(検証調書56.11.28付添付写真63号ないし65号)の双方を示して、別紙一鑑定事項に基づき行われた。

(3) 右鑑定の結果を簡単に要約すると、被告人の供述するA1の殴打状況ないしこれに近い状況で、甲を殴打すれば、鑑定事項添付図面B図、C図の線状骨折の生ずる可能性が十分あるが、A1の供述する状況ないしこれに近い状況で殴打すれば、同図面B図の乳様突起骨折は惹起されるものの、鱗状縫合部の骨折が惹起される可能性は殆どない上、同じくC図の頭頂骨骨折が生じる可能性は全くなく、むしろ、殴打された筈の後頭骨やトランクに押し当てられた舌骨に骨折が生じていない点が説明できない、というもので、右の限度では被告人の供述の方に合致するとみられるものである。

4  三木鑑定の内容

(1) 三木鑑定は、前記廣田鑑定後、検察官の申請に基づき、帝京大学教授(前東京大学教授)三木敏行に対し、廣田鑑定の場合と同一の鑑定事項により命じて行わせた鑑定の結果である。廣田鑑定は、前記3(3)の結論を導くにあたり、C図の頭部骨折の発生機序について、おおむね、「つるはしの金具による頭部の殴打により、まず、別紙二の図面C2C3の全部とC1の環状縫合手前部分の各骨折が生じ、その後の顔面殴打の際にC1の顔面寄りの部分の骨折が生じて、両者が矢状縫合部分で合体した。」という説明をしていたところ、検察官は、別の場所に生じた二個の線状骨折が、たまたま一個に合体したと考える右鑑定の見解に疑問を提起し再鑑定を申請したため、当裁判所としては、問題の重要性にかんがみ、慎重を期し、再度専門家の見解を徴した。

(2) 三木鑑定は、当初廣田鑑定を度外視して、独自の観点から行われ、その後、右鑑定と自己の検討結果を対比の上、一定の修正を施して作成されたもので、条件設定などに慎重を期しているため、廣田鑑定より表現はかなり控え目になつている。三木鑑定は、結論的に、A1供述による殴打の状況よりも被告人の供述によるそれの方が、甲の頭部の骨折状況をより合理的に説明し得るとする点で廣田鑑定とその方向を異にするものではないが、被告人の供述する状況又はこれに近い状況で殴打した場合に、甲の頭部にB図及びC図の線状骨折を生ずる可能性ないし蓋然性は「中等度ないし大きいと推測される。」としながら、A1供述又はこれに近い状況で殴打した場合にも、「その程度は小さい」ながら、B図、C図の線状骨折を生ずる可能性ないし蓋然性があるとし、また廣田鑑定が、A1の供述する殴打方法によれば舌骨等の骨折が生じていない点が説明できないとしている点についても、右骨折が生じない可能性は存在するとしている。

六被告人及びA1の各供述の信用性の検討

1  緒説

すでに述べたように、本件において、被告人を甲殺害の実行共同正犯と認め得るか否かは、A1の供述の信用性の有無にかかつている。本件殺害現場又はその付近には、被害者である甲を除けば、A1と被告人の二人しか現在していなかつたのであるから、両名の供述が前示のように顕著に対立し、しかも、両名のいずれについても、虚偽の供述をする動機ないし利益が存する以上、両供述の信用性の検討に慎重を要することはいうまでもないところであり、A1の共同実行の供述が真相を述べたものであるとの確信に到達でき、被告人のこの点の供述が虚偽であるとして排斥できない以上、被告人を右殺人の実行共同正犯と認めるわけにはいかないことも論を俟たない。しかし、被告人の供述自体にも疑問点が存するので、まずこの点から、検討することとする。

2  被告人の供述自体に存する疑問点

(1) 甲殺害の前後の状況に関する被告人の供述の詳細は、原判決摘記のとおりであるが、これについては、原判決は、①被告人が、A1の甲殺害の意図を知りながら、第四現場を出発したのち、一〇〇キロ以上も離れた第五現場に到達するまで、車の運転を交代する機会が十分あつたのに何らその挙に出ず、A1と行動を共にしたとしている点、②第五現場付近に車を停めたA1が、柄を外したつるはしの金具で甲の頭部を殴打するのを、被告人が制止するのは容易であつたと思われるのに、殴打までに右制止行動に出たとしていない点、③その後、甲殺害の意思を明確にしているA1に協力して、甲を山林内に引きずり込んだのち、A1を甲と二人きりにしてその場を離れ、約一〇分間、煙草を喫うなどして時を空費したとしている点などにおいて、著しく不合理である旨の指摘をしており、検察官の当審弁論も、ほぼ同旨の主張をしている。

(2) そこで、考えるに、原判決の右①ないし③の指摘は、いずれももつともなものであり、特に、右③の指摘に関しては、当裁判所も全く同様の疑問を抱くものである。被告人は、第三現場において甲を殺すと言い出したA1が、第四現場を出発する際にもその意思を変えないので、それが心配で、又は、甲を殺させないために、A1について行つたというのである(前記四3(3)参照)。しかも、被告人は、第一現場においては、A1らが着用のズボンのベルトで甲の頸を絞めて失神又はその寸前に陥らせるのを目撃し(前記二2(2)参照)、また、第五現場においては、つるはしの金具でA1が甲の頭部を殴打したのを事後にようやく制止したというのである(前記四3(3)参照)。従つて、右第五現場付近の山林内において、被告人が、A1を甲と二人だけにしてその場を離れるときは、そのすきに、すでに甲に対する殺意を露わにしているA1が抵抗の気力を失つている甲殺害の挙に出るであろうことは、被告人も当然これを予想した筈であり、被告人が、(公判廷において極力陳弁するように)当時まだ、A1の甲殺害を阻止する気持を持つていたというのであれば、A1から「スコップとつるはしを取つてきてくれ。」と頼まれたとしても、しかく簡単に右依頼に応ずるとは理解し難いところである。しかるに、被告人は、右依頼に応じて、二〇メートル以上も離れた駐車車両まで引き返し、A1を甲と二人きりにしただけでなく、煙草を喫つたり放尿するなどして、車のそばで約一〇分間も時を空費したというのである。被告人の右行動は、遅くとも右の段階において、自らもまた甲に対する殺意を抱くに至つていたということを前提にしなければ、とうていこれを合理的に説明し得るものではない。(当裁判所は、公判廷において、被告人に対し、右の点につき再々弁明の機会を与えたが、被告人は、肝要な点に至ると号泣してしまい、自己の行動に納得し得る説明をすることができなかつた。)のみならず、もし、被告人が右の段階においても甲に対する殺意を抱いていなかつたとすると、被告人において、A1が甲を殺害してしまつた事実を知つた時点で、A1の非道な行為を責める言動(罵倒、殴打など)をとることなく、かえつて、早々に、同人と協力して死体損壊・遺棄の作業を開始しいる点も納得し難い。もし、A1による甲殺害が、被告人にとつて全く予期せざる事態であつたとするならば、殺人の前科もあつて甲殺害の共犯と疑われ易い立場にあることを十分認識していた被告人としては(被告人の当審供述参照)、まずもつて、A1が、自分のいない間に勝手に自己の意に反してかかる重大事件を惹起したことに対して難詰・罵倒するのが当然であり、場合によつては殴打や喧嘩に発展しても不思議ではないと思われるのに(死体の処理は、そのあとで考えれば足りる筈である。)、被告人は、「何でお前こんなことすんねん。」と一言いつただけで、直ちに同人に協力して犯跡隠ぺいの挙に出たというのであつて、右行動は、被告人においても、A1による甲殺害を予期していたことを前提としないでは容易にこれを理解し得ないところである。従つて、かりに甲殺害に至る経過が被告人の供述するとおりであつたとしても、林の中を立ち去る際の殺意を否認する被告人の弁解は、これを採用し難いといわなければならない。

(3) 原判決の前記①②の指摘も、確かにもつともなものである。まず、①の点については、特に、被告人は、車が中国道に入つたあと、赤松パーキングエリアにおいて、A1が兄のA2と電話連絡をするためいつたん下車した事実を認めているのであるから、被告人が、真に、A1の甲殺害を阻止しようと考えていたのであれば、そのすきに、有無をいわさず運転席に乗り込んでしまい、自ら運転して○×組の事務所等殺人や死体遺棄の困難な場に戻つてしまえばよかつたのであり、また、そのような行動に出ることが、著しく困難であつたとも考えられない。従つて、かかる行動に何ら出ることなく、その後もA1の運転に身を任せて、第五現場のような遠方の地点に達するまでの長時間、被告人が同人と行動を共にしていた点は、前示のような被告人の公判廷における弁解に、一見そぐわないもののように思われる。また、②の点についても、「第五現場付近において、A1が車を止めたのち、突然つるはしの金具を持つて下車し、後部トランクを鍵で開け、起き上ろうとする甲の頭部を殴打した。右殴打の際、A1が下車してから殴打するまでに、二〇秒から四〇秒位あつた。」という被告人の供述が真実であるとするならば、A1の甲殺害を阻止する目的で行動を共にしていた筈の被告人にとつて、阻止行動を取るだけの時間的余裕がなかつたとはにわかに考え難いから、被告人が、何故に直ちに後部トランクにかけつけてA1の殴打を阻止しなかつたのかは、やはり疑問として残る点であるといわなければならない。もつとも、被告人は、公判廷において、右①の点につき、「殺す殺すといつても、人一人そう簡単に殺せるわけのものではないし、A1の気の済むように運転させればそのうちに納まるだろうと思つた。」とも弁解しており、右弁解は、直ちに万人を納得させるほど明快なものではないけれども、被告人においてA1がどこまで本気であるのかについて半信半疑であつたとすれば、全くあり得ない心理状態として一蹴するわけにもいかない面もある。また、②の点につき、被告人は、A1がそこまでやるとは考えていなかつたとか、一連の時間の流れの中でのことであり、その部分だけ切り離して不合理だといわれても困るなどと弁疏しているところ、特に第一回目の殴打の段階では、被告人がA1の真意をいまだ見抜いておらず油断していたということも考えられないことではなく、また、第二回目の殴打に対する制止が、被告人が供述するように、一瞬遅れて間に合わないということも、あり得ないことではないと思われることなどに照らすと、これらの点は、いまだ決定的に被告人に不利益な事情とはいえないと考えられる。

3  A1の供述自体に存する疑問点

(1) 原判決も指摘するとおり、A1の供述には、捜査段階以来、大きな変遷がいくつかある点が特徴的である。その最大のものは、右供述中には、当初第三、第四現場そのものについての供述が欠落していた点である。すでに指摘したように(前記四2参照)、同人は、当初の否認を撤回して逮捕・監禁の事実を認めるようになつたのちも、実際には第三、第四現場で行われた暴行等を第二現場において引き続き行われたものとして供述し、第三、第四現場には全く触れておらず、公判廷においても、右供述を維持し続け、被告人の逮捕後、その供述する第三、第四現場の存在を否定し難くなつた末、ようやく従前の供述は「体の悪い兄をかばうためにした虚偽の供述であつた。」として、右第三、第四の各現場の存在及び同所での暴行を認めるに至つたものである。A1が、従前虚偽の供述をしていた理由として述べるところは、白血病に冒されてすでに余命いくばくもないと見られていたA2の健康状態に照らし、確かに一見合理的であるように思われないでもないが、改めて検討してみると、A1は、被告人逮捕後における再度の取調べに際し、当初、第二現場から甲の難波のマンションの家探しに行つて戻つた際、甲がガムテープでぐるぐる巻きにされた上血を出していて、その場には、被告人、BのほかA2も居た旨、甲に対する暴行へのA2の加担を否定し難くする状況を明らかにしていながら(員面57.5.18付)、あくまで、右現場は第二現場であつたと言い張り、約一月後の検面6.17付まで、第三現場の存在を秘匿し続けたのである。右の経過からすると、A1による第三現場の秘匿が、同人の弁疏するような単純な動機に基づくものと考えてよいかどうかには、なお疑問が残るというべきであり、弁護人の当審弁論が指摘するように、第三現場の存在を明らかにすることによつて、A2のみならずA1自身も著しく不利な立場に陥るおそれがあつたのではないか(すなわち、右弁論は、A1は、第三現場へ赴く段階で、すでに、兄のA2と甲殺害の共謀を遂げており、死体埋没用のスコップやつるはしをも持参しているので、右現場の存在が確認されると、自分たちの立場が圧倒的に不利益になると考えたのではないかと推論する。)という疑いを完全に払拭することはできないと考えられる。

(2) A1は、当審証人としても、一見、きわめて真しに、かつ、理路整然と事実関係を供述し、弁護人の鋭い反対尋問によつても、その供述に、決定的な破綻を見せていない。従つて、右の点だけからみる限り、同人の供述の信用性は、極めて高いという見方も成り立たないわけではない。しかし、他方、A1の供述の信用性を判断する場合に、同人が、捜査段階において当初一貫して供述し、捜査機関ですらその真実性を疑わなかつた事実(右(1)参照)が明白な虚偽と判明し、本人も当初の供述が事実に反することを認めるに至つている点を無視することはできない。同人の捜査段階における当初の自白も、きわめて詳細、かつ、具体的で迫真力に富み、その内容に格別不自然・不合理な点は存在しておらず、その故にこそ、捜査機関ですらその真実性に疑いを抱かなかつたものと認められるが、そうであるとすると、その余の点に関する同人の供述も、それが一見理路整然としているというだけの理由で、直ちに信用できるということには、必ずしもならないのであつて、かかる供述の中に、自己の責任を被告人に転稼するための虚構の弁解か混入していないかどうかにつき、より慎重な検討が必要であると考えられる。

(3) そして、右のような観点から、A1の原審及び当審におけるぼう大な供述を、同人の捜査段階における供述(当審において新たに取り調べた原審未提出の供述調書を含む。)と対比し、仔細に検討してみると、同人の供述中には、前記(1)で指摘した点ほどではないにしても、必ずしも重要ではないとはいえない矛盾点や疑問点であり、また、A1が、以前の供述をことさらな虚偽供述と認めている点も、二、三に止まらない。これらの点については、おおむね、弁護人の当審弁論の指摘するとおりであると認められるが、以下においては、そのうちで、A1が自分で嘘を言つたと認めている点及び供述の変遷が特に不合理と認められる点を、時間の流れに従つて若干指摘しておく。

(4) A1が、スコップとつるはしを盗み出した場所について

A1は、検面57.6.17付において、犯行に使用したつるはしを、義兄のE方のハイエースから持ち出したと供述し(記録九冊二〇七八丁)、当審公判廷においても、右供述を維持している(当審第一〇回公判速記録四九丁)が、捜査の当初においては、第四現場付近の青山組空地道路側西北角付近に置いてあつたのを盗んだ旨もつともらしい供述をし、実況見分により窃取場所の確認まで行われていたのである(実見56.12.1付。記録四冊四九八丁、五一三丁)。

(5) 難波のマンションでの行動等について

A1は、第三現場からCと二人で甲のナンバのマンションへ行つて家探しをしたが、ポケットベルの合図があつたので、急いで外へ出て、外の公衆電話から、被告人の自宅へ電話して、「自宅へ帰つているように。」という被告人の伝言を受けた旨供述しているが(当審第一〇回公判速記録四三丁以下、第一三回公判速記録一五丁以下)、①同人は、マンションの室内に電話があることを知つていながら、なぜ室内の電話を使わなかつたのかについての合理的な説明をすることができず(同速記録一六丁)、その際Cに聞かれては具合が悪い内容の相談を兄のA2としたのではないかという疑いを生ぜしめているし、また、②A1が、被告人の事務所の電話番号を知らなかつたので、その自宅へ電話したという点も、A1が、捜査段階以来、被告人の自宅の電話番号であるとして述べていた番号(〇七二七−七七−△△××。A1員面56.11.21付)が、実は、被告人の事務所の電話番号であつて自宅の番号でないことが、当審における事実取調べの結果判明したこと(当庁昭和五九年押第二五五号の一九、△△組本部住所録九八−六頁参照)などからみて、明らかな虚偽供述といわざるを得ず、A1が、右の時点で、現実には、兄のA2方に電話をして、義姉花子を通じA2と連絡を取り合つていたのではないかという疑惑をいつそう深めさせる結果となつている。

(6) 第五現場へ行く車内における甲の行動に関する供述について

A1の供述中、第五現場へ行く途中で、トランクの中に居る甲が暴れたことがあつたかどうかに関する部分は、著しく変転している。すわち、同人は、①捜査の当初においては、「甲のいるトランク内で、ゴトゴトというかなり大きな音がしだしたので、被告人と相談の上、高速道路上で車を止め、トランクを開けて『静かにせんか。』と怒鳴りつけた。」旨供述していたが(員面56.11.26付)、②員面57.5.18付では、右①の供述は、「第三現場で甲が殴られてぐつたりしていたのを隠すために嘘をいつていたもので、作り事である。」旨供述するに至り、更に原審証人としては、③「甲がバタバタ騒いだことは事実だが、車を止めて『静かにせえ。』といつたというのは嘘である。」旨、右①②を折衷したような供述をしたのち(九冊一九四丁ないし一九六丁)、④「途中で甲が騒いだこともない。」旨再び供述を変更し(一二冊二七九丁ないし二八〇丁)、⑤当審証人としては、「甲がドタバタ音をたてたのは、中国道を走つている時だと思う。」旨、またしても新たな供述をし(第九回公判調書速記録二一丁裏)、その供述の変転は止まるところを知らない。そして、同人は、このようなめまぐるしい供述の変転の理由をたずねられても、「僕自身の気持変わつたんで、そういうふうに供述がころころ変つたんです。」(第一三回公判調書速記録一四丁)などというだけで、納得し得る理由を述べることができなかつた。

甲が第五現場へ赴く車内で暴れたことがあつたのかどうかというようなことは、直接本件の核心に触れる出来事でないには違いない。しかし、重要なことは、右①ないし⑤の各供述は、相互に矛盾対立するもので、また、事柄の性質から考えて、そのようなことに根本的な思いちがいが介在するとは考えられないから、右各供述の大部分は、意識的な虚偽供述であると考えざるを得ないのに、その各供述部分のみを見ると、そのいずれもが、一応もつともらしくて、供述の内容自体からは、そのいずれが虚偽でいずれが真実であるかの見分けがつき難いことである。このことは、A1が、その時々の自己の気分や感情から、真実とは異なるさまざまな事実関係を、いずれについても一見理路整然と、破綻を来たすことなく供述することのできる、特異な能力を備えた者であることを示すものというべきであり、その供述全体の信用性判断の際に、考慮に容れざるを得ないと考えられる。

(7) 第五現場で甲が「助けてくれ。」と助けを求めたか否かについて

弁護人の当審弁論が詳細に指摘するとおり、A1は、捜査段階において、「第五現場に着いてトランクを開けると、甲は『助けてくれ。』と助けを求めた。」旨一貫して供述していたが(員面56.11.17付、11.27付、検面12.7付)、原審及び当審証人としては、一転して、右のような発言はなかつた旨供述している(一二冊二一九丁、二八四丁、当審第九回公判調書速記録三四丁)。殴打される直前に甲が助けを求めたとすれば、かなり印象的な場面の筈であつて、A1の右の情景に関する記憶が、しかく簡単に変容を来たすとは考え難いから、この点についても、A1が捜査段階か公判段階かのいずれかで、ことさらな虚偽供述をしている疑いが強いというべきであり、(6)と同様の意味で、その供述全体の信用性を低下させる事情であるといわなければならない。

(8) 殺害直前の甲の状態に関する供述について

第五現場の山林内で甲を絞首する直前の状況につき、A1は、捜査段階及び原審公判廷において、「甲が、いびきをかいているような音を出したので、生きていることがわかり、被告人から、『首絞めて殺そう。バンドを外せ。』といわれた。」旨供述していた(九冊二〇四丁、一二冊二三〇丁ないし二三一丁)。右供述は、その内容自体に照らし、一見きわめて迫真力に富み、経験した者でなければ供述し得ないもののように理解でき、これが原裁判所の事実認定に強く影響を与えたものと考えられる。ところが、同人は、当審第九回公判における証言の際には、甲の首を絞めたきつかけを聞かれて、「忘れた。」旨供述している(同公判調書速記録五〇丁)のである。事件の核心に触れる場面の出来事について、今まで一貫して供述していた事を、突如「忘れた。」というのは、全く奇異というほかなく、従前の前示のような供述が真実であるならば、たとえ四年余の年月の経過があつたとしても、かかる重要な事柄をしかく簡単に忘れ去るとは、にわかに考え難いのであつて、A1の右当審供述は、甲殺害の直前の状況に関するA1の前示のような一貫した供述の信用性を疑わせる事情(更に言えば、被告人が「首を絞めて殺そう。」といつたことについての信用性をも疑わせるもの)であるといわなければならない。

4  鑑定等客観的証拠との対比

(1)  以上のとおり、被告人及びA1の各供述には、いずれも疑問となる点があつて、その内容自体からは、必ずしも決定的な優劣をつけ難いと思われる。そこで、次に、右各供述のいずれの方が、鑑定等客観的証拠と対比して信用に値するかという観点から検討を加えることとする。

(2) 本件において取調べずみの鑑定書三通の内容は、前記五2ないし4記載のとおりである。右のうち、的場鑑定によれば、被告人らが甲の顔面を潰した際、頭蓋骨の線状骨折が同時に生じたということも考えられるとされているから、第五現場での殴打状況に関する被告人及びA1の各供述は、いずれもこれと矛盾しないことになる。しかし、右鑑定の右の部分は、その理由について具体的な説明がなく、また、頭部殴打の状況に関する被告人とA1の各供述のちがいを意識してなされたものでもないから、当審における廣田・三木両鑑定(特に廣田鑑定)と対比して、その信用性は高くないといわなければならず、いずれにしても、今の段階では両供述の信用性判断上、それほど重要な意味を有しないと考えられる。

(3) 廣田鑑定は、前示のとおり、被告人の供述の強い裏付けとなり得る内容のものであると認められる。これを前提とする限り、第五現場における甲殴打の状況に関するA1の供述には重大な疑問を生じ、他方、被告人の供述は、右鑑定結果と何ら矛盾しないこととなる。これに対し、三木鑑定は、基本的に廣田鑑定とその方向を異にするものではないが、①A1の供述する殴打の方法によつても、鑑定事項添付のB図及びC図の線状骨折を生ずる可能性ないし蓋然性が「その程度は小さい」ながら存在するとし、②右の殴打方法によつても、舌骨等の損傷の生じない可能性ないし蓋然性があるとする点において、廣田鑑定より幾分後退し、A1の供述を完全に否定することにはならず、被告人の言う所を完全に支持し得るものではない。

(4) そこで、右①②の点に関する三木鑑定の内容について、更に検討すると、まず、①の点につき、三木鑑定は、A1の供述する頭部殴打(同鑑定にいう「打撃二」。)によつては、C図の線状骨折及びB図の乳様突起骨折は生ぜず、これに近い状況を考えても、B図の乳様突起骨折の生ずる可能性があるだけであるが、つるはしで顔面を潰した際の打撃(同じく「打撃(二)」)によつて、C図の頭蓋骨骨折のすべてが生じた可能性があるとするのである。打撃(二)が、つるはしの金具による多数回の強烈なものであることを考えると、右の点に関する三木鑑定の結論も、確かに傾聴に値するものといわなければならないが、同鑑定も、顔面殴打により頭蓋骨骨折が生ずる可能性について、その根拠を理論的に明らかにし得ず、ただ、「私自身の法医解剖における経験」で、「顔面に暴力をうけた死体の頭蓋冠に、この頭蓋と似た分岐状態を示す骨折を観察したことがあるから」という理由を挙げているにすぎないのであつて、同鑑定の依拠する過去の経験が、現実には本件と前提を異にする場合であつた可能性が絶無ではないと思われること(同鑑定人も、右経験の際、記録による限り頭部殴打の状況は認められなかつたとするに止まるので、関係者が頭部殴打の事実を秘匿していたという可能性まで否定するものではない。)を考えると、右の点に関する三木鑑定の結論に、打撃(二)によつてはC図の頭頂骨線状骨折の生ずる可能性は「全くない。」旨理論的根拠を示して断言する廣田鑑定の信用性を強く減殺するまでの証拠価値があるとは認め難い。のみならず、三木鑑定は、打撃二によつて打撃部位に骨折を生じない可能性があるとし、右可能性を否定する廣田鑑定と鋭く対立するが、A1の供述する頭部殴打の程度・態様(同人は、「殺すつもりで、後頭部を力一杯殴つた。血がすごく出た。」という。)を前提とする限り、右の点については、廣田鑑定の結論の方が現実に則したもののように思われ、三木鑑定は、A1の供述する殴打箇所に現に骨折が生じていない事実に不当に引きずられた結果、逆に、右打撃が骨折を生じない、程度の軽いものであつたと推論したのではないかとの疑いが残る(鑑定書五五頁末行、六三頁(ホ)参照)。

(5) 次に、前記②の点について三木鑑定が挙げる論拠は、打撃が頭という緩衝物を介しているため、前頸部の受ける暴力の影響は弱まつていたと考えられること、打撃二が作用した局所に骨折がないから、この暴力は、作用部位に骨折を生じない程度のものでしかなかつたと考えられること、トランクの後縁が舌骨部を外れていたかもしれないことの三点である。しかし、右のうち、がA1の供述する打撃の程度・態様に必ずしもそぐわない推論であることは、すでに前述したとおりである。の指摘は、力学的には一般にはそのように言えるかも知れないが、本件における具体的事情、すなわち、頸部をトランクの縁という幅の狭い固形物に固定させた上、頭部をつるはしの金具で思い切り殴打した場合に、頸部に加わる頭部の重量をも加えた圧力の点を過少に評価した見分ではないかとの疑いが消えず、の指摘も、抽象的にはそのとおりであるにしても、「加害時に舌骨骨折の生じない可能性は殆どない。」とした廣田鑑定も、固定箇所と舌骨部との多少のずれを当然に考慮に容れたものと解されるから、右の論拠のみによつては、三木鑑定に廣田鑑定の右結論を左右するに足りる証拠価値があるとは認め難い。

(6)  以上のとおりであるから、廣田・三木両鑑定が結論を異にする点については、三木鑑定よりも廣田鑑定の方がより説得力を有すると認められる上、両鑑定がほぼ一致して認める諸点をも併せ考えると、第五現場及びその付近における甲殴打の状況に関する被告人とA1の相反する供述のうち、被告人の供述は、鑑定による客観的裏付けを有する部分が多いが、A1の供述は、鑑定による裏付けをほとんど有しないのみならず、むしろ、積極的にこれと抵触してしまう疑いが強い部分(しかも重要な点において)が多いといわざるを得ないのである。そして、右の点は、第五現場付近における甲殴打の状況に関する両名の供述の信用性についてのみならず、これと密接な関連を有すると考えられる、その直後の甲殺害の方法に関する両名の各供述、更には、遡つて、第五現場到着以前の行動に関する両供述の各信用性の判断にも影響を与えるものと考えられるのである。叙上の諸事情はすでに指摘したようなA1供述自体に存する疑問点の存在とあいまち、その信用性を大きく減殺する事由にあたるものといわなければならない。

(7) 甲を殴打したのちの行動に関する被告人及びA1の供述は、甲を二人で山林内へ連行した点では一致しているが、その方法に関する両名の供述は、前示のとおり激しく対立している。そして、右の点については、「自力で歩行できる甲を両側から抱えるようにして連行した。」とする被告人の供述よりも、「右殴打によつて意識を失つた甲の両手を二人で引張り、二メートル近い斜面を引きずり下ろすようにして山林内へ連れ込んだ。」とするA1の供述の方が、より自然であるように思われないでもない。しかし、前掲廣田・三木両鑑定によれば、右のような打撃を頭部に加えられた場合、被害者は、脳震とうにより意識を失うのが通常ではあるが、意識を失わずに他人と会話のできる状態を保つこともあり得るとのことであり、結局、右の点も、被告人供述の信用性を大きく揺るがせるものではない。この点は、甲を山林内へ連れ込む動機に関する両名の供述(被告人は、「山林内で、隠し資産の所在を更に追及するつもりであつた。」といい、A1は、「殺すつもりだつた。」という。)と密接に関連するものであるだけに、慎重な検討を要する点ではあるが、被告人の一見常識に反するかと思われる供述についても、医学的に全くあり得ないものではないとされた点を無視することはできず、いずれにしても、右の点が、両供述の信用性判断に決定的な影響を与えることはないと考えるべきである。

5  被告人の殺意の有無等についての補足

(1) これまでの検討により、甲殺害の経緯に関するA1の供述には、その信用性に重大な疑問があつて、これに全面的な信を措くことはできず、右経緯については、むしろ被告人の供述に現われた客観的状況を前提とせざるを得ないと考える。

(2) そこで、被告人の供述によつて認め得る第五現場付近での事実関係を要約してみると、被告人は、第五現場手前二、三百メートルの路上及び第五現場において、つるはしの金具で甲の頭部を各殴打したA1を制止したが、右二回目の殴打の直後に、同人から、甲を山林内に連れ込んで更に脅すので手伝つてほしい旨頼まれたため、A1と二人で両側から抱えるようにして、二メートル近い斜面を下りて真暗な山林内へ甲を連れ込んだところ、A1から、「つるはしとスコップを取つてきてくれ。」といわれ、約二〇メートル離れた駐車車両まで取りに戻り、放尿したり煙草を喫つたりして約一〇分後に戻つてみたら、甲は、首にベルトを巻かれて絶命していた、ということになる。

(3) しかし、右の事実関係を前提としても、被告人が、A1に言われてスコップとつるはしを取りに戻る際には、自分が席を外せばA1が甲殺害の挙に出ることを予測しながら、ことここに及んだ以上、犯行の発覚を防ぐためには、それもまたやむを得ないとの考えに達していた(すなわち、甲に対する殺意を抱いていた)と認めざるを得ないことは、すでに詳述したとおりである(前記六2参照)。

(4) かかる認定に対しては、検察官・弁護人の双方から異論があり得る。

まず、検察官からは、右事実関係を前提とすれば、甲を山林内へ連れ込む段階で被告人がすでに殺意を抱いていたと認めるべきである、との異論が考えられる。確かに被告人らは、第一現場以来、長時間にわたつて甲に相当強烈な暴行・脅迫を加えているのであり、第五現場においては、つるはしの金具による頭部の殴打という従前とは質を異にする暴行を加えているのであるから、その上更に甲を山林内へ連れ込んで追及しても、すでに同人が口を割つていた八〇〇万円以外の隠し資産についての情報を同人から得る見込みがあつたとは考え難い。従つて、被告人が右の段階でA1と共同して甲を山林内に連れ込んだのは、むしろ端的に甲殺害のためではなかつたかという疑いも、全くないとはいえない。しかし、前示る述した当裁判所の認定によれば、右連行行為は、被告人がA1の殴打を制止した直後のことということになるので、特段の事情の変更もないのに、被告人が、制止の直後に一転して甲の殺害を決意したというのは、いかにも唐突に過ぎると思われる。また、道路から丸見えの第五現場より、真暗な山林内の方が脅迫により適する場所であることは確かであるから、もし、被告人が供述するように、山林内への連行の段階でも甲が会話の可能な状態であつたとするならば(それが、医学的にあり得ないといえないことは、前述のとおりである。)、「山林内で甲を更に追及するというA1の言を信じて同人に手を貸した。」とする被告人の弁解も、一概に排斥し難いところである。これらの点からすると、右山林内への連行の段階で被告人に甲殺害の意思があつたと認めるには、なお合理的な疑いが残るといわなければならない。

(5) そこで、次に、弁護人から出ると考えられる異論について検討するに、予測される異論は、①被告人には、甲殺害の動機がない上、②もし、当裁判所の認定のとおりであるとすれば、被告人が、自ら直接には殺害に手を貸さないでおきながら、その直後死体の損壊等にのみ敢えて関与し、共同して行動したことに対する合理的な説明ができない、というものである。

しかし、右①については、確かに、甲を追及して高額の隠し資産の所在を白状させようとしていた被告人にとつて、同人を殺害してしまうことは、計画の頓挫を意味するのであり、しかも、殺人の前科を有する被告人が、ことが発覚した場合の刑責の重大さをも考え、A1の甲殺害計画にたやすく同調できなかつたことは、当裁判所もこれを否定するものではないが、被告人が、A1と共に行つた長時間にわたる追及によつても甲は頑として口を割らないので、遂には、当初の隠し資産獲得の計画をあきらめるにいたり、そうなつたからには、第五現場及びその付近において、すでにA1による頭部の殴打という重大な犯行が行われている以上、その発覚を防ぐため、A1の甲殺害を容認するのもやむを得ないという心境に達することは、異常な事態に直面した者の心理として決して不自然ではないと考えられるから、最終段階においては、被告人に、甲殺害の動機がなかつたとはいえない。

ただ、そのように考えると、被告人は、何故に、自ら殺人の実行行為に加担することなく、死体損壊等のみに加わつたのかという前記②の疑問が生ずるが、殺人の前科等を有しつい最近出所したばかりの被告人にとつて(被告人は、前刑の強姦致傷罪の服役を、本件の約五月前にようやく終了したものである。)、再度の殺人の実行行為への加担は、しなくて済むものであればせずに済ませたいものであつたことに疑いはなく、すでに従前のいきさつから、A1において甲殺害の挙に出ることが十分に予測された以上、自らはあえてこれに手を貸すことはしなかつたとしても、その後殺害現場に戻つて、現に甲殺害ということが行われたことを目の前にした上は、被告人としてもこれを他人事として放置することは出来ず、いずれにしても犯行の隠ぺい工作についてはA1と協力する気になつて、時間的にも共同して行わなければ暗いうちに作業を完了することが困難と思われた死体損壊・埋没につき自らも直接加担したと認ることは、決して不合理な認定ではない。

七結論

すでに検討したところから明らかなとおり、被告人がA1と共同してAの殺害行為を実行した旨の原認定は、当審における事実取調べの結果等に照らしこれを維持し難いものであつて、原判決には、右の点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるといわなければならないところ、原判決は、右殺人の事実をその余の事実と併合罪の関係に立つものとして、被告人に対し一個の刑を科しているのであるから、原判決は、結局、全部破棄を免れない。

よつて、検察官の論旨(量刑不当の主張)に対し判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書に則り、当審において予備的に変更された訴因に基づき、次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

原判示第二の前書きを削除し、同一を次のとおり改め、同二の冒頭に、「A1と共謀の上」を加えるほか、原判決摘示のそれと同一であるから、右のとおり改めた上、これらを引用する。

「第二  一  前記第一の犯行に際し、甲が会社資産の所在につき口を割らなかつたことに憤激したA1において、ついに甲を殺害すると言い出したため、当初は半信半疑ながらも、そのような事態に立ち至らせてはならないとの配慮から、A1の運転する自動車に同乗して前記第四現場を出発し、その後も同人と行動を共にしていたが、同日午前二時ころ、前記土砂採取場付近の路上に車を停めた同人において、突然トランクの蓋を開け、予め自車に積み込んであつたつるはしの柄を取り外した金具の部分(長さ約六〇センチメートル、重さ約2.4キログラム)で、甲の頭部を強打し、更に右土砂採取場においても同様の暴行を加えて同人に重傷を負わせた上、なおも付近の山林内に連れ込んで会社資産の所在を追及すると言い出したため、被告人も、A1に求められるまま、同人と二人で甲を左右から抱えるようにして、段差約二メートルの急斜面を下り、約二〇メートル離れた同町猪篠字西山一九二〇番地の五の人気のない山林内に甲を引き込んだ。ところで、被告人は、A1の右二回にわたる殴打の際これを制止する行為に出たものの、いずれも一瞬遅く、右殴打を阻止することができず甲に重傷を負わせる結果となつたことから、右山林内においては、本件一連の犯行の発覚を阻止するためには、甲殺害の意向を露わにしているA1が同人を殺害するのを容認するのもやむを得ないと考えるに至つており、自分が両名のそばを離れない限りA1が甲を殺害することはあるまいが、いつたんそばを離れれば、そのすきに、すでに抵抗の気力を失つている甲をA1が殺害してしまうことが十分考えられ、しかも、他に右殺害を阻止し得る者は誰も居らず、従つて、前記第一の犯行に同人と共に積極的に参加し同人による甲殺害の機会を作出したがその後右殺害を阻止するため同行を続けていた者として、当然同席を続けこれを阻止しなければならない立場にありながら、A1より、前記土砂採取場に駐車中の自動車からスコップとつるはしを持つてきてくれるよう依頼されるや、これに応ずれば、その間にA1が甲を殺害するかも知れないが、それもやむを得ないとの考えのもとに両名のそばを離れた上、前記急斜面の上の土砂採取場付近で約一〇分間時を空費し、そのころA1が前記山林内において甲の頸部に布製ベルトを一回巻きつけて殺意をもつて強く絞めつけ同人を窒息死させて殺害した際、これを阻止せず、もつて、A1による甲殺害を幇助し、」

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)

原判決摘示のそれと同一である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の逮捕・監禁の各所為は、包括して刑法六〇条、二二〇条一項に、同第二の一の所為は、同法六二条一項、一九九条に、同第二の二の所為は、同法六〇条、一九〇条に各該当するので、判示第二の一の罪につき所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には原判決摘示の各前科があるので、以上の各罪の刑につき、いずれも同法五九条、五六条一項、五七条によりそれぞれ三犯の加重をし(ただし、判示第二の一の罪については同法一四条の制限内で)、判示第二の一の罪は、従犯であるから、同法六三条、六八条三号により法律上の減軽を施し、以上は、同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、最も重い判示第二の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法二一条に則り、原審における未決勾留日数中六三〇日を右刑に算入し、原審及び当審における各訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、いずれもこれを被告人に負担させないこととする。

(補足説明)

前記のとおり、当裁判所は、当審において予備的に変更された訴因(不作為による殺人罪)とほぼ同一の客観的な事実関係を認定したが、右認定事実によつても、被告人の行為は、不作為による殺人罪ではなく、不作為による殺人幇助罪を構成するに止まると解するものである。しかし、弁護人の当審弁論は、1被告人の行為は、不作為による殺人罪にあたらないのはもちろん、同幇助罪をも構成せず、しかも、2当審における予備的訴因変更自体、被告人の防禦権を侵害し、また、遅きに失して許されない旨主張しているので、以下、当裁判所が、不作為による殺人罪の成立を認めなかつた理由をも含め、右各論点に関する当裁判所の見解を示すこととする。

一不作為による殺人罪ではなく同幇助罪の成立を認めた理由

1 本件犯行に至る経緯及び犯行の態様の詳細は、すでに認定・判示したとおりであるが、不作為による殺人罪又は同幇助罪の成否を論ずるに必要な限度でこれを要約してみると、以下のとおりである。すなわち、

(1)  当時、暴力団山口組系(現一和会系)△△組内○×組の組長であつた被告人は、破産したO建設の経営者甲を追及して、隠し資産の所在を明らかにさせ、知人から取立を依頼された同社に対する債権を回収しようと企て、同じく債権回収の意図を有するA兄弟らと共謀の上、昭和五六年八月七日午後四時ころ、甲を原判示老松コープ(大阪市北区××所在)一階大便所で捕促して自動車内に監禁したのち、右自動車内及び第二現場(兵庫県尼崎市南武庫之荘の空地)、第三現場(同県西宮市塩瀬町の空地)、第四現場(同県尼崎市水堂町所在関西電子工業前付近)等において、こもごも同人に暴行・脅迫を加えつつ隠し資産の所在を追及したが、同人は、従業員に預けてあるという八〇〇万円以外は、その所在を明らかにしなかつた。

(2)  被告人が第四現場から配下組員二名を帰したのち、甲の態度にいら立つたA1において第三現場で言い出していた甲殺害の件を再び言い出したため、被告人は、半信半疑ながらも、A1が甲を殺害するようなことがあつては、債権回収の目的が達成されないばかりでなく、殺人罪の前科を有する自分が不利益な立場に立たされるおそれがあることを恐れ、同人と行動を共にして、同人にかかる暴挙を思い止まらせ、もし甲殺害の挙に出るときは同人を制止しようとの意図のもとに、後部トランク内に甲を乗せA1の運転する車に同乗して、第四現場を出発した。

(3)  翌八月八日午前二時ころ、A1は、第五現場(兵庫県神崎郡神崎町猪篠字西山一九二〇番地の一所在の土砂採取場。第四現場から、走行距離で約一三〇キロメートル。)付近の路上で車を停めて下車し、後部トランクの蓋を開けるや、車内から持ち出したつるはしの金具の部分(柄を外したもの)により甲の頭部を殴打し、更に、右第五現場で再度車を停めた際にも、右同様の暴行を加えた。

(4)  被告人は、A1による右二回の殴打を制止する行動に出たが、いずれも一瞬遅く、これを阻止することができなかつた。

(5)  被告人は、右二度目の殴打ののち、A1から、甲を更に山林内に連れ込んで脅すので協力してほしいと求められたため、これを了承の上、共同して、同人をトランク内から引き出し、約二〇メートル離れた付近の山林内へ運び込んだところ、その直後、A1から、甲を脅すための道具(スコップとつるはし)を車から取つてきてくれるよう依頼された。

(6)  ところで、被告人は、それまで、A1の甲殺害を阻止しようとの意図のもとに、A1と行動を共にしていたが、同人が被告人の不意を衝いて甲を二度までつるはしの金具で殴打し、重傷を負わせてしまつたため、右山林内においては、被告人としても、殺人の前科があつて共犯と疑われ易い自己の立場にかんがみ、本件一連の犯行の発覚を阻止する必要があり、そのためにはA1が甲を殺害することがあつても、自分と直接共同してではなく、あるいは自分の目前で行うのでなければ、これを放置するのもやむを得ないとの考えに至つていた。

(7)  そこで、被告人は、前記(5)のA1の依頼を奇貨とし、自己の不在中同人が甲殺害の挙に出ることを予測・認容しながら、両名のそばを離れて約一〇分間前記土砂採取場付近で時を空費し、その間に、A1は、甲の頸部に布製ベルトを一回巻きつけて強く絞めつけ、同人を窒息死させて殺害した。

以上のとおりである。

2 次に、被告人が、山林内において、A1からスコップとつるはしの持参を依頼された際の状況として、次の諸点を指摘することができる。すなわち、

(1)  山林内には、つるはし等の兇器は存在しなかつたが、被告人の制止さえなければ、A1において、すでに抵抗の気力を失つている甲を殺害することは容易であつたこと

(2)  しかし、被告人が同席して殺害を阻止する構えを崩さない限り、体力的にもはるかに劣るA1において(被告人が、優に一八〇センチメートルはあろうと思われる長身であるのに比べ、A1は、はるかに小柄である。また、A1も、元暴力団×組の組員であつたが本件当時すでに離脱していて懲役刑の前科はなく、現役の暴力団組長で殺人罪の前科を有する被告人と比べると、格が下であるとみられる。)、甲殺害の挙に出ることはまず考えられず(この点は被告人も自認するところである。)、また、万一A1が右殺害を図つたとしても、特段の兇器を有しないA1の行動を被告人は容易に阻止し得たと認められること

(3)  右山林内には、他に、A1の甲殺害を阻止し得る者はいなかつたこと

3 そして、右1、2指摘の事実関係のもとにおいては、被告人は、A1からスコップやつるはしの持参を依頼されても、これに応ずることなく同席を続け、A1による甲殺害を阻止すべき義務を有していたと解すべきである。しかるに、被告人は、前記1(7)記載の意図(予測・認容)のもとに、約一〇分間その場を離れることにより、A1の甲殺害を容易ならしめたものであるから、不作為による殺人幇助罪の刑責を免れないというべきである。

4 本件において、検察官の予備的訴因は、不作為による殺人罪(正犯)の成立を主張するが、被告人に課せられる前示のような作為義務の根拠及び性質、並びに被告人の意図が前示のように甲の殺害を積極的に意欲したものではなく、単に、これを予測し容認していたに止まるものであること等諸般の事情を総合して考察すると、本件における被告人の行為を、作為によつて人を殺害した場合と等価値なものとは評価し難く、これを不作為による殺人罪(正犯)に問擬するのは、相当ではないというべきである。

5  なお、本件における本位的訴因は殺人の実行共同正犯を、予備的訴因は、不作為による殺人をそれぞれ主張するものであつて、殺人の共謀共同正犯の訴因は掲げられていないから、あえて触れるまでもないが、前示のとおり、A1は、甲を山林内に連れ込む直前まで被告人から殴打を制止されていたものであるから、山林内で三たび甲殺害を図れば、当然また被告人から阻止されると予想し、それであるからこそ、口実を構えて被告人に席を外させ、そのすきに素早く甲を殺害してしまつたと認めるのが相当である。従つて、被告人が、席を外す際A1の甲殺害を容認していたとしてもA1がそれを認識していたと認められず、まして右両名が、暗黙のうちにもせよ、甲を殺害することにつき謀議を遂げていたと認めることはできないから、被告人に対し、殺人の共謀共同正犯の刑責を問う余地はないといわざるを得ない。

二訴因変更の時期的限界逸脱等の主張について

1 本件において、検察官から、「訴因及び罰条の予備的追加請求書」(殺人の実行共同正犯の訴因を、不作為による殺人の訴因に予備的に変更する内容のもの)が提出されたのは、当審における事実取調べがほぼ終了していた昭和六二年一月二四日(当審第一九回公判と第二〇回公判の中間)であつて、それまでに、起訴後約四年八月(被告人の控訴申立後約二年一〇月)という長年月が経過していたことは、弁護人の当審弁論の指摘するとおりである。このように、起訴後長年月を経過し、特に、控訴審における結審が近付いた段階で、検察官が訴因変更を請求することは、確かに好ましいことではない。

2 しかしながら、本件については、次のような事情の存することも、明らかなところである。すなわち、

(1)  被害者甲を殺害した状況について、被告人と共犯者A1の供述が、捜査段階以来決定的に対立しており、検察官は、右A1供述の信用性を認めて、被告人を同人との殺人の実行共同正犯の訴因で起訴したこと

(2)  A1供述には、犯行に至る経緯につき一部大きな変遷もあるが、被告人と共同して殺人を実行した事実を認める部分等には、一見迫真力があつて、信用性がありそうに思われること

(3)  被告人は、第一審以来、殺人はA1の単独犯行であるとする自己の供述に絶対誤りはないとしてA1供述の信用性を争つてきたものであるところ、右被告人の供述は大筋において一貫してはいるものの、肝心の殺害直前の自己の行動に関する弁解に、常識上納得し難い不合理な点があつたこと

(4)  従つて、原審においては、A1供述の信用性が肯定されて、これが大きな要素となつて被告人は、殺人の実行共同正犯と認定されたと考えられること

(5)  しかるに、当審における再度の鑑定の結果、A1供述の信用性には重大な疑問を生じ、その結果、他に決定的な証拠を欠く本件においては、甲殺害に至る客観的経緯中争いのある部分については、ほぼ全面的に被告人の弁解に基づく事実を認定せざるを得なくなつたこと

(6)  しかし、A1供述の信用性に関する疑問が決定的となつたのは、証人三木敏行の取調べ(昭和六一年一一月二六日の第一八回公判)、又はせいぜい三木鑑定書の鑑定人からの送付(同年一〇月一四日)以降の時点のことであり、このような審理の経過のもとで予備的訴因変更請求が、右時点から二、三か月以内に行われていること

(7)  予備的訴因は、客観的な事実関係については従前被告人が一貫して供述してきたところに基づくものであり、右訴因に掲げられた事実関係については、被告人の殺意等、主として最終段階における被告人の主観的意図を除いてほとんど争いがなく、また、右争いのある部分に関する被告人の防禦は、従前の審理において十分尽くされていると認められるので、予備的訴因の成否をめぐつて新たな証拠調べをする必要がないのはもちろん、従前の長期間にわたる審理の結果を無駄にするおそれもないこと

(8)  予備的訴因の主張する事実関係のもとにおいて、被告人の行為を刑法上不作為による殺人罪(又は右訴因に包含されるとみられる不作為による殺人幇助罪)に問擬することができるかどうかは、法律論として問題の存するところではあるが、右防禦の機会は、当審においても十分保障されていたこと

以上のとおりである。

3 右2指摘の諸点を総合して考察するときは、控訴審における事実取調べの終了直前になされた本件予備的訴因変更が、弁護人の当審弁論の主張するように、訴因変更の時期的限界を逸脱するものであるとか、不意打ちとして許されないものであるなどということはできない。

(量刑の事情)

本件は、殺人、強姦致傷などの原判示累犯前科二犯を有し、また、暴力団の組長として、かねて債権の取立等にらつ腕を振るつてきた被告人が、被害者甲からの債権回収を意図するA兄弟らと共謀の上、甲を白昼公然と車で拉致し、長時間監禁して暴行・脅迫を加えたのみならず、同人の殺害を公言するA1と同行して、ついには、不作為によるとはいえ、A1による甲の殺害を幇助した末、死体の損壊・埋没をA1と共同して行つたという事案であつて、右のような本件犯行の動機、罪質、態様及び被告人の前科前歴、日頃の生活態度等に照らすと、本件における被告人の刑責がまことに重大であることは、論を待たない。被害者が、その経営する会社を倒産させるにあたり、杭打機をはじめとする会社資産の隠匿を図つたことは、もちろん責められるべきではあるが、それにしても、同社に対して直接の債権を全く有しない被告人が、前記のような悪らつな手口で甲から隠し資産の所在を白状させようと考えること自体、まさに言語同断であり、そのあげく、一連の犯行の発覚を阻止するため、前記のような行動に出たものである以上、甲の右落度の点を、本件における量刑上、それほど重視することはできない。また、本件は、甲の遺族の生活を一変させた。遺族らは、本件後、妻の実家のある秋田市に移住したが、三人の幼児を抱えた同女の生活には容易ならざるものがある上、夫とともに生活の張りをすべて失つた同女は、未だに精神的に立ち直れないでおり、また、本件が、右幼児らの人格形成上及ぼした影響力にも甚大なものがあると認められる。

ただ、すでに説示したところから明らかなとおり、被告人は、A1の甲殺害を阻止する意図のもとに第五現場へ同行したものであり、第五現場及びその付近においては、一瞬遅れたとはいえ、現実にA1による甲の殴打を制止する行動に出ていること、山林内へ入つたのちの行動についても、殺人罪ではなく、同幇助罪が成立するに過ぎないことなどの点からすると、甲の殺害を含む本件一連の犯行において終始積極的に行動したA1のそれと比較してみると、被告人の刑責の方が軽いということは認めざるを得ない。その他、被告人は、被害者の遺族に対する慰藉の措置を未だ全く講ずることができないでいるが、本件についての刑責の重大さを認識し、反省悔悟の末、宗教に帰依して、暴力団組織とはすでに絶縁していることなど諸般の事情を総合考察の上、主文の刑を量定した。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

別紙一 鑑定事項

一 (一)当裁判所の昭和六〇年二月一六日付検証調書添付写真二ないし六及び八ないし一〇のとおり、又はこれに近い状況で、ツルハシによる打撃を被害者の頭部に加え、(二)さらにその後、地面に仰臥させた被害者の顔面にツルハシ(金具の横の平らな部分)による多数回の打撃を加えて、左顔面にA図のような陥凹粉砕骨折を生じさせた場合において、B図及びC図の線状骨折を生ずる可能性ないし蓋然性があるか。あるとすればその程度。

二 (一)司法警察員作成の昭和五六年一一月二八日付検証調書添付写真第六三号ないし第六五号のとおり、又はこれに近い状況で、ツルハシによる打撃を被害者の頭部に加え、(二)さらにその後前記一(二)記載と同一の打撃を被害者の顔面に加えた場合において、B図及びC図の線状骨折を生ずる可能性ないし蓋然性があるか。あるとすればその程度。

三 右C図の線状骨折は、頭蓋骨の左顔面に存する陥凹粉砕骨折を生じた打撃とは別個に頭頂部に加えられた打撃によるものではないと考える余地があるか。あるとすればその程度。

四 被害者の頭部等に右二記載の打撃を加えたとした場合に、その舌骨等に損傷が生じない可能性ないし蓋然性があるか。

別紙A図〜C図〈省略〉

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